前回の記事では井戸端会議をされてた皆さんからのコメントをいただき、ドキドキしちゃいました。とっても嬉しかったです!^_^
前回の記事はこちら。
超人気ブロガーさんから見てもらえてるなんて。
折角なので私も皆さんのリンクさせていただきたいと思います。
それぞれステキなホームページをお持ちです。(๑>◡<๑)
- がっちゃんブログ
私が子育てで大切にしたい5つのこと~両親からしてもらった育児を振り返る~ – gu-gu-life’s blog
- りんごさんブログ
私が子供にしてあげたい3つのこと -親にしてもらいたかったことと共に考える- – りんごの時間。
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親は私をどう育てたんだろう。親にしてもらってよかったことを考える。 – 明日も暮らす。
- すみかさんブログ
親から受け取った愛情から自分の育児を見直す – となりのスミカ
それでは前回の続きです。
父がしてくれたこと
今は亡き父。
父が亡くなって6年が経ちました。
父は大学教授をしていたんですが、私が4歳の時に仕事を辞め、田舎の地へ子どもを連れてやってきました。
以来、ヨガの先生や英語、算数の先生をしていたこともありますが定職にはつかず、毎日家に居て、畑仕事や、瞑想、論文書き、読書、色んなものを手作りするなどしながら、子どもとの生活を楽しんでやってくれたのです。
父が私にしてくれたこと。
それは「無常こそが常やな〜」と子どもながらに感じていた私に、
常にそばにいる存在があることを教えてくれました。
これはかなり心の支えになりました。しかもただそこに居ることがどれほど子どもの心にとって大きいのか、身をもって教わりました。
ちょっと昔に書いた文章が出てきたので、貼らしてください。
皆さんは子どもにこんな言葉がけをしてませんか?
それ触っちゃだめ。
大人しくしてなさい。
汚いから止めなさい。
だから言ったでしょ。
危ない!
早く!
やめなさい。
私もいくつか身に覚えがあるんだけど。
モンテッソーリの本を読みかえしてたら、ちらっと目にとまり、シェアしたくなったのでシェアします。
こんな言葉がけ、モンテッソーリはこう考えたそうです。
あーあ、科学者はだめになった、と。
子どもたちは手と脳に刺激を受けて成長する大事な仕事をしていたのに、お母さんたちはそれを見ようともしない。
叱るだけしかり、自分のペースにひっぱっていく。
禁じたり、引き離す前に、頭の片隅にあぁ、あれは敏感期なのだな、ああやって考えてるんだな、子どもが自分の成長のために働いてるんだな、という心を持ってみてあげることが出来れば、子どもの生活に対する干渉の仕方も随分変わってくると思うのです。
そうすることで、自分で考える子どもに育ちます!
工夫して、どんどん作り上げていきます。学校の学習だけが学習ではないんです。
自然からの重大な宿題があるんです。
その自然からの宿題に全存在をかけて自分でやり遂げないといけない子どもたち。
幼い時にその心を踏みにじられた人は大きくなった時、必ず復讐します、とモンテッソーリは言っているそうです。
あんなに一生懸命してやったのに、と思うかも知れません。
でもそれは、子どもが自分でしなければいけなかったことに、大人の勝手な考えでそれを妨げていたのかも知れません。
虫たちが誰からも教わることなく必要な時にのみ敏感期が来てそして必要なくなればその機能がなくなってしまうように、子どもにも敏感期はあるとモンテッソーリは言っています。
今しかない敏感期は、やがて終わってしまいます。
もしも逃したらその機能を新たにつけるために大変な努力が課せられます。
何が敏感期か?
それは子どものみが知っています。
子どもひとりひとり皆それぞれの学習をしています。
他にもごちゃごちゃえらそうに書いてたんですがf^_^;、何だかうまく言えないんですが、こういうことを父は自然としてくれていたと改めて思ったのでした。
さらにこちらの文章も。
初めて高森先生の講演を聞きました。とっても父のような人で懐かしさを感じました。
しつけにおをつけたらおしつけになる。
自分の都合のよいようにおしつけるのではなく、自分で出来るように見守ってあげることが大切。
甘えさせるのは大切だけど、甘やかすのはダメ。
何でもしてあげるのが愛情ではなく、出来るまで見守ってあげるのが愛情。
などなど改めて子供の心を大切に、「したい!」を阻害しないであげたいなと思ったのでした。
という自分で書いたものを引用として用いるのも何なんですが、「ただそこに居る」ということの素晴らしさを私は身をもって知りました。
自然からたくさんのことを学んだ
父は物凄い田舎に家を購入しました。その家は「となりのトトロ」のような、「オオカミ子どもの雨と雪」のような環境の場所にありました。
私が子どもたちに自然となるべく遊んで欲しいと思うのも父の影響や自分の育ってきた環境が大きいと思います。
(野山で楽しむ絵を描く会の時の写真)
私は自然が身近にあったお陰で色々なことを学んだのですが、またそれは機会があれば。
何かを(勉強も含めて)強要されたことはない
父は博識で、本来ならどんどん勉強するように強要されそうなものですが、父は本人が心から「学びたい」と思わなければ、こちらがいくら頑張っても学ばない。という気持ちがあったようです。父自身知ることが楽しくて楽しくて寝る間も惜しんで本を読みまくっているような人で、それは亡くなるまで変わりませんでした。
私は出来る子と信じてくれる
私はあまり勉強してませんでしたが、父は常に「◯◯は出来る子や、すごい子や」と信じて疑わないのです。「こんなに出来ひんのやで!」と見せても、「いや、◯◯は賢いよ」といつも言ってくれていました。ここまで盲信出来る父のお陰で私は出来る子なんだと常に心のどこかでは思うことが出来ました。
いつも笑顔でまるで観音様
父はとにかくいつも笑顔でした。
私が「お父さん!」というとニコニコしながら、「何や?」と言って寄ってくるので、「近寄らんといて!そんなとこに立たれたらテレビ見れへんし邪魔やでどいて!」とか言うと、「あ、そっか。はいはい。すまんすまん。」とニコニコしてどいてくれていました。私だったら、子どもにそんなこと言われたら「親に向かって何言うとんや!」と恐らく怒ると思います。でも怒ることはまるでなく、沸点の高めの私なんか屁でもないほど、全く怒らない観音様に近い雰囲気を常に醸し出していました。
聞けば分からない質問はない
時々父に質問する時がありました。すると父はものすごい専門用語満載で答えてくれるのです。その専門用語が分からないから聞くとまたさらにそこから詳しく教えてくれて、誰かの名前とか出すともうとんでもない知識で返ってくるのです。
父の博識は凄く、しかも多岐に渡っていました。何を聞いてもすごい知識で返してくれる父でした。
身近に本が山ほどある
本当に山ほどの本が所狭しとあって、本だけの小屋みたいなのも自分でDIYで作ってましたが、あえなく湿気の問題ですぐにダメになりましたが、とにかく本が多かったです。本の種類も実に多岐に渡っていて、私は主にカバラとか、占星術、ヨガ、手塚治虫の作品、アンネの日記、モモ、イズアローン、カムイ伝などの漫画や占いの本ばかり読んでいました。
父は日本の歴史どころか超古代、カタカムナ、マクロビオティック、エジプト、ピラミッド、宇宙。UFO、神道、ギリシア語の本の数々……ととにかく多岐に渡っていました。
何でも手作り
育ての母は料理と服を何でも手作りしていましたが、父はピラミッド型の瞑想兼茶室、正16面体になるように作られた陶芸スペースやベッドスペース、アスレチックスペースのあるグリーンハウスと呼ばれる建物、家の二階、ティピーと呼ばれるインディアンの住居、その他家のあちこちの垣根などほとんど父1人で作り上げていました。
父は博識で頭も良く、剣道でも優勝する腕前で、さらに建築も出来るというスーパーお父さんでした。そしてそれを自慢するでもなく、苦労話をするでもなく、父はよく「Be here now」という言葉を使っていました。英語的には少し違和感のある言葉だそうなんですが、ニュアンスとしては「今を生きる」という意味です。まだ来ぬ未来を心配するのではなく、過ぎ去った過去を引きずるのでもなく、今一瞬一瞬を生きること。これこそ今の私を作った言葉だと思います。
私が父や母からしてもらいたかったこと
- 最低限の社会のルールやマナーはきちんと教えて欲しかった
一言で言えば放任主義。子どもを信じるのは素晴らしいことですが、きちんと社会のルールやマナーは失敗して学ぶより前に教えて欲しかったです。お陰でいくつかの失敗談が今でも忘れられずにいます。
- 将来の可能性を具体的に教えて欲しかった
将来こうなりたい!という希望はあっても一体どうしたら良いか分からなくて、必死に情報収集しましたが、やはり情報網は少なく、こういうのもあるよ、と色々と教えて欲しかったです。
- クリスマスや行事ごとのお祝いをして欲しかった
クリスマスや誕生日、私は来なければいいのにって思っていました。もちろんお祝いしてくれる年もありましたけど。これからは自分の子どもたちと一緒に楽しみたいと思います。
子どもに同じようにしたいこと
- 子どもの可能性を信じること
- 自由を与えること
- 木を見ず森をみる子育て
- 常に「居る」こと
- 本はケチらずに与えること
- すべての出来事はその子にとって必要なことだと伝える
- 子どもの可能性を信じること
出来なくて当たり前、出来たらすごい!の精神、本当に難しいです。特に一度出来たのを見てしまった後はそれはもう出来るのは当たり前で次!と思いがちなので、常に凄い!出来る!と思えるようになりたいです。
- 自由を与えること
自分で考えて自分で決めること。
親がこれして欲しいと思っても決して私発信ではなく、子ども発信になるようには気をつけています。やらされたこと、誰かの提案でしたことでは、したいと始めたことに比べて情熱が全く異なります。さらに万一上手く行かなかった時、自分ではなく他人のせいにしたり恨んだりしがちです。自分で決めたことは自分しか責める相手はいません。その失敗も挫折も自分が決めてしたことであればいつかその失敗が生きてきます。そんな自分で決めるという自由を与えることを私もやっていきたいと思っています。
- 木を見ず森をみる子育て
私が目指すのは将来大人になった時に困らないようにすること。生き方で、人付き合いで、社会生活で困らないように何が必要であるかというのは小さい時から常に考えて行動してきました。 具体的にはまたいつか。
ただ今長女が小学四年になり勉強面で小さなつまづきが増えて来ています。こちらとどう向き合っていけば良いのか、私自身も色々と考えなければいけない時期に来ています。
- 常に「居る」こと
私が小さい頃はこれが当たり前で私の周りで離婚や死別されてる家庭はほぼなかったですが、今はあまり珍しいことではなくなって来ました。常に「居る」こと、さらにただ居ることの大切さと難しさを感じています。
- 本はケチらずに与えること
これは父に言われた言葉です。
本って何冊も買うとすぐに高くなってしまうので、本当に絵本貧乏、本貧乏にすぐになってしまいます。そんな中でもこれだ!と思える本はこれならもケチらずどんどん購入していけたらと思っています。……もちろん予算を決めて。
我が家、あまり服とかはボンボン買わないのですが、本はついついドーンと買ってしまいます。私も本が大好きなので、日本語はとにかく図書館通い頑張ります!
因みに今週借りたのはこんな本たちです。
図書館バンザイ!!
- すべての出来事はその子にとって必要なことだと伝える
こちらは前回コメントいただいて改めてよい考え方だな〜と思い、それを子どもたちに伝えられたらいいなと思いました。
まだまだあるかも知れなくて、思いついたらひっそりとここを更新していけたらなと思うのでした。
かなり、かなり長い文章になってしまいました。f^_^;
ここまで最後まで読んでくださる方が果たしているかしら……
しかもかなり稚拙な文章になってしまいました。f^_^;
読んでくださった皆様。
ありがとうございます!!^_^
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コメント
おはようございます(●´∀`●)
言及までしていただき、ありがとうございます!!
それにしても、お父様ものっすごい方ですね!スーパーお父ちゃんだヽ(`∀´)ノ
一本芯の通った方だったんですね^^
今回の記事、私が意識していきたい、でも出来ていない、と感じていることが本当にたくさん書かれていてとても参考になりました。
しつけじゃなくおしつけになっていないかな
せっかくの敏感期なのに自分のペースに戻すために中断させたことたくさんあるな
私もお父様のように、どーんと大きく見守るような存在目指していきたいです。
そして、学びを押し付けるのではなく、自らが学びたいと思える環境(学んでいることにすら気づかないレベルが理想)を作っていきたいな~と感じました。
これからもブログ楽しみにしています!!
りんごさん
こちらもコメントいただきありがとうございます!
嬉しいです!^_^
学んでることすらも気づかないレベルの学びたいと思える環境って……父はまさにそうだったのかも知れません。
何故私がこんなに学ぶことが大好きな人間になったのか、振り返って考えてみたんですが、特にこれ!ということはなくって……
何だかすとんっと腑に落ちました。^_^
しつけがおしつけになってないか……
最近おおらかな子育てばかりも出来なくなってきて、色々とあれしよう!これしよう!と言うようになってきていて……。
この子育ては果たしてどうなのか……と自問自答したくなる時が出てきています。
大きくなるにつれて勉強面でのつまづきが後々響くのではないかと今からあれこれ「させてる」状態です。
父のようなドーンと「居るだけ」子育てから少しずつシフトチェンジしてしまっている私がおります。
自ら学びたいと思える環境、本当に大切ですよね!
私も色々これからも種まきに精を出したいと思っています。^_^