エンヤを聞きながら、アメリカ生活を思い出した

アメリカ生活

こんばんは。

夜になると、何となく昔のことって思い出しませんか?

私の中にある断片的な思い出たちが、時々何かをした拍子に飛び出してくることがあります。

こんなこと、誰が聞きたいだろう…って遠慮してしまうことの方が多いんですが、私だったら、そういう人の過去のこととか聞くのも好きなので、もしかしたら好きな人も居るかも…。

興味なかったら、スルーしちゃってください。^_^

題して思い出ナイト。

不定詞に更新していく予定です。

もう、ここに書いてることもあるかも知れないんですが、さらに少しだけ掘り下げたいと思います。

今夜は、寝かせつけをしながら、エンヤを聞いていたんです。

すると、ある日々の記憶へタイムスリップしました。

それは、アメリカにいた時。

毎回行くたびにエンヤが流れていたんです。

心地よい音楽が流れていた部屋は、アートセラピストの方のお部屋でした。本棚には、ブッダやJapanと書かれた本とかもありました。

お名前をすっかり忘れてしまい、仮名ナンシーということにさせてください。

ナンシーは、昔、日本に住んでいたことがあるんだそうです。

ニューヨークといえども、物凄い田舎だったので、街から出たことない方もたくさん居る中、世界も広いのに日本に!ってびっくりしました。

その方には、ご主人さまがおられたそうなんですが、彼は心の病気を持って居られて、アルコール依存症になり、そして亡くなられたそうです。

そして当時、教会で働いておられたナンシー。

私ともう1人アメリカ人の女の子と一緒にそこで2週間ほどインターンシップをさせてもらっていました。

ナンシーはそのインターンシップの子を担当していて、私ともうひとりの子は色々なアートセラピーを実際に受けさせてもらいました。

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たまたまこんな写真を発見しました!

すでにナンシー(仮)にもお花のマークがついているので、前にこちらで紹介したのかも知れません。

まず、右上の毛糸なんですが、何かというと、これは私が作った作品です。

作品…というにはなかなかごちゃごちゃしていますが、これは、毛糸を使って、生まれてから今までを思い出しながら、下から編んでいったものです。

上の方はいい感じなんですが、下の方は…結構ヤバイですよね。汗

私の中では幼少期はしんどい時も多かったと思います。

母が居なくなって、姉もおかしくなっていたし、継母も怖すぎて、引っ越しした土地で次々に友だちは引っ越して行っていなくなって、気がついたら誰も友達が居なくて、そこからようやく出来るかなと思った友達から裏切りもあってやっぱり出来ず…孤独な小学生時代が私の中で結構大きかったんだと思います。

それをなかなかな感じに表現しちゃってると思います。

それから、仮面を作るセラピーもさせてもらいました。

これは、仮面に好きなように色紙をつけていく作業です。

ナンシー(仮)はこの私が作った仮面を見ながら、私のことを分析してくれました。

喉のところにある白と黒は言いたいことが言えない状況であるとか…(確か)

サードアイ(3つ目の目)のところにはこの色があるから何だとか…(覚えてないとかあかんな〜)

目を隠す意味を聞かれて、私は、目とか必要ないと思ったから隠したって言ったと思います。ちょっと怖かったのもありますが。自分の心に素直に従うというか、人の目はあまり気にしてないみたいなことを言われたような…

右の頬にヒラヒラしているのは手なんですが、私の中ではこれは他人の手のつもりで作ってます。

誰かを助けたい…

その気持ちが強い…か何かと言われたかと思います。

そして時間が余ってしまったので、後ろも作っていました。私は海のような、空のような青が好きで、思いっきり青で作ってたんですが、だんだん涙を作り出してしまい…

心では泣きたかったのかな、この時の私。

余談ですが、私は雨が結構好きです。

しかも、なぜか私が泣きたい時に雨が降ってくれる時がよくあって、私の代わりに泣いてくれているような気になってほっとします。

またまた余談ですが、私の昔昔むかーしのペンネームは空音って言ってました。空でなる音に色々救われたことがありました。

話は戻りますが、アートセラピー以外にも色々なセクションがありました。

私たちは次に、カウンセラーの方にカウンセリングしてもらいました。

ファミリーツリーというものを書きました。

まずは自分を書き、そこから、父、母、姉、弟、祖父母…と自分の家族を書いて行き、その関係性を線で表す作業です。

我が家の家族関係は結構なものでした。

でも、我が家なんて笑っちゃうぐらい、アメリカの家庭はすっごいことに大体の家がなっていました。私もあまりにもすごくてカルチャーショックを受けまくりました。

だから、日本ではまずもってお母さんが居ない家って少なかったし、父子家庭も少なかったし、継母の存在とか、田舎に瞑想の為に引っ越しとか色々ぶっ飛んでたけれど、アメリカの家庭に比べればまだまだ序の口だと思います。

そして他には、カウンセリングを受けておられる様子を横で一緒に見させてもらいました。

これは、このブログのどこかに書いたと思います。女性の方で、泣きながらカツラを外して悲惨な状況を話しておられました。DVを受けている女性でした。

また、シェルターにも行かせていただきました。色々と分かりづらい作りをしていて、中に入ったけれど、薄暗く、窓が普通の窓ではなかったです。そこに、女性と子どもたちがおられました。行く途中に、前記したDVを受けているという女性の旦那様にたまたまお会いしました。ごく普通の人だったので、この人が…って感じでした。昔から結婚願望はなかったですが、ますます結婚って怖いな〜って思いました。

それから、裁判所にも一緒に行かせていただきました。ある少年の付き添いだったんですが、お父さんが出てくるらしい…という情報だったんですが、出てきたお父さんは、蛍光オレンジのつなぎを着ていて、両手には手錠、足には丸い重りがされていました。

そんなお父さんを見つめる少年…

今でも心に焼き付いています。

それから、パントリーもされていて、毎週木曜日に生活が大変な方に無償で缶詰などを配っておられて、私たちも色々もらいました。

そんな感じで、ナンシーに連れられて、色々な経験をさせてもらいました。

エンヤの音楽を聴きながら、その時の日々を思い出してしまいました。

あの時一緒だったアメリカ人の子は元気してるのかな〜?結婚して子どもが居るのかな〜?

私は結婚願望ゼロで、結婚=鳥かごの中の小鳥のイメージしかなかったですが、自由に動きまわらせてくれる旦那さんのお陰で、結婚してもなお色々出来てるので、改めて感謝しないと…と思えてきました。

「今この状態」がまさに幸せで感謝すべきことであること、ぐちぐち言わず感謝して生きて行きたいって改めて思います。

いいことを思い出させてもらいました☺️

思い出は本当にたくさんあるので、また時々こんな感じで書いて行きたいと思います。

このアメリカのインターンシップの話は前に書いたことがあったと思うので、同じ感じかも知れません😅

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