【アメリカの大学事情】発言しないと成績がAにならない?

アメリカ生活

おはようございます、あきです。

今回は、アメリカの文化の1つであるparticipation(参加すること)を大切にする文化であることをお伝えしたいと思います。

またタイトルの通り、発言を全くしないとどれだけテストで100点ばかりのいい点数でもAが付かないことがあります

これがどんな社会人を育てることになるか

どう思いますか?

因みに、成績はこんな感じです。

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Aが一番良い成績になります。

Fを取るとやり直しです。もう一度この単元を受け直さなければいけません。

以下、私の話になります。

学校に行き始めて文化の違いに直面

アメリカの学校に行き始めた当初は先生が何を言っているのかさえ分からない時がありました。そんな中で、どの授業でも生徒たちが本当に手を良く挙げていました。

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しかも、こんな感じの上げ方の生徒も多く、日本のようなこんな感じの挙手をする人って少数でした。

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だから、挙げる時さえドキドキすることになるんですが…あまりに他の生徒が挙手をするので、皆頭いいんだろうなぁ、どうしよう…とよく凹まされました。

意外としょうもないことも発言していた

ところが、英語が段々と分かるようになってくると、皆さんしょーもないことを結構挙手して発言していることに気がついて来ました。寧ろ敢えて変なこと言ってクラスを沸かせる生徒とか。

どんな発言でも自分の意見を言うことが良しとされるアメリカの学校では、先生の質問からして違います。常にどんな解答をしてもウェルカムな雰囲気があるのです。

答えが1つしかない閉じられた質問

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自分の子ども時代や、子どもの参観に行っていると、日本の学校では答えが1つしかない閉じられた質問って多いなー、と思うことがあります。

私が小学校の参観に行った時衝撃的だったのが、こんな場面です。

シーン1

先生: ○○は?分かる人?(確実に答えが1つ)

生徒: はーい、はーい(挙手をする生徒)

先生: はい、○○くん

生徒:○だと思います。どうですか?

ほかの生徒:同じです!

シーン2

先生: ○○は?分かる人?(確実に答えが1つ)

生徒: はーい、はーい(挙手をする生徒)

先生: はい、○○くん

生徒:○だと思います。どうですか?

ほかの生徒:違います!はーい、はーい(挙手をする生徒)

答えが明らかに1つしかない質問に対して、子どもは答え、どうですかと聞き、合っていれば皆から同じです!と言われ、間違っていたら違います!と言われる。こんな感じのやりとりの中で子どもたちは何を学ぶのか。娘たちは答えることが怖い。間違えたら嫌だ、と思ったようでしたが、私が子どもだったとしても同じような感覚になるなーと思ったのでした。

もちろん、こんな閉じられた質問ばかりではなく、高学年になるに従ってどう思うかなどの質問も出てきたりしていましたし、先生によって質問の質も様々なのですが、割とこういう質問が多いのかな?という印象を受けました。

答えが1つではない開かれた質問

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小学校事情は分からないのですが、アメリカの大学では、1つしか答えがない質問はあまりしません。

先生:○○についてどう思う?

先生:○○ってどんなイメージ?

先生:○○ってどんな時に使う?

など、常にどんな解答になってもオッケーな質問をして、しかも、どんな発言でも先生はそれいいねーという顔をしてくれます。中にはとんでもない発言をする生徒に対して先生がおどけてやってくれたりして、とにかく授業は毎回必ず大爆笑が起こるクラスも珍しくありません。

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さらに、集めた意見の中には相反する意見も出てきます。そういうのを書き出し、ある一方はAという意見。またある一方ではBという意見。

これってどうなの?

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と今度は議論させるんです。

また宿題でも、あなたはどう思う?というようなエッセイを本当に何度も何度も書きました。

こういう1つの議題に相反する意見がある時の書き方はこんな感じです。

確かに○○(反対意見)もある。しかし私は○○、○○、○○という3つの理由からこう思う。

まず、○○と思う理由について…

次に、○○という理由について…

最後に、○○という理由について…

このような理由から、私は○○という意見である。

というような書き方なので、必ず自分の意見が必要なのです。

自分がどう感じ、どう考え、どんな意見を持っているのかをとても大切にする文化です。

また相手がどう感じ、どう考え、どんな意見を持ってもそれを受け入れる文化でもあります。

議論をさせたり、エッセイを書かせたり、プレゼンテーションをさせたりという訓練が毎日のように行われます。

自分の意見は何なのか

そう思う理由は?

それを発表する

毎日、毎日自分の気持ちと向き合います。

そんな中で、毎日のparticulation(参加すること)はもう普通のことで、自分の意見があるならクラスで発表するのは当たり前でしょうという感覚になってきます。

さらに、ちゃんと自分の意見を言わないと困ることになるんです。それがタイトルでも言ったこれです。

participate(参加)しなければ、いくらテストが100点でもAはもらえない

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という事実です。

折角授業を受けるならAもらいたいですよね!だから私も初めは全然手を挙げられなかったんですが、次第に毎度毎度手を挙げれるようになりました。

Aをもらいたい

まずはこんな単純な理由から、手を挙げ始めました。ところが、話している自分がいて、自分の意見を聞く先生がいて、生徒がいて、自分の意見から話が発展して…

発言することは楽しい

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そう思うまでにそんなに時間はかかりませんでした。

結果的にほとんどのクラスでAをいただき、成績優秀者として卒業することが出来ました。

しかし中には全然質問しない先生もいました。化学を取った時は、生徒がたくさんいる中で先生が淡々と話すだけの授業で、こんなに面白くない授業は大学生活でこの化学だけでした。この化学ではCを取り、Cを取ったのはこの化学だけでした。

後のクラスは皆活発に意見交換した授業ばかりでした。

インターンシップ中でも意見交換の日々

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インターンシップをした時には、実際に教会で働いている方と一緒に居させていただいたのですが、やはり自分の意見は大切であり、自分の意見を発表するのも大切でした。

毎週の会議の時には日本はこんなところ!と紹介したりもしました。自分のアイデンティティや自分自身を大切に、自分の文化を大切にすることが大切になってくる場面も多々ありました。自分は自分のままで良い自分だから良いのだ、と思わせてくれるアメリカ生活になったのでした。

そして社会人になる

日本に戻って来て、まず広告業界で働き始めました。毎月冊子を発行した後に会議がありました。自分の意見を言う機会はふんだんにあるのに、トップばかりが話し、スタッフは意見を言わない雰囲気もありました。けれど、私はアメリカの大学でいつも意見を言っていたので、臆さずどんどん発言していました。そして自分に変な自信も持っていました。自分のままでいいんだよ、という感覚です。自分は凄いんだ、一番だ、とかそういう感覚ではないです。

その時、何故他の人は意見を言わないんだろう?と思う時もありましたが、これは日本の教育の中で発言するという行為自体トレーニングされて来ていない結果なのかなと今思えば思います。

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また、英語を使った仕事をしていた時。

電話会議などで意見を交換するべく、アメリカの企業と電話しているにも関わらず、部長や課長級の皆さんがあまり自分の意見を言われずにふんふん聞いて居られるだけなのにも、内心びっくりしたのを覚えています。もっと意見を言ってもらえたら、それを英語に直して伝えるんですが、変に自分の意見は言わず、まずは意見をこちらでまとめてそれから…という雰囲気でした。それはそれで足並みを揃えて取り組めるので素晴らしいと思いますが、もっとどんな感じでもいいので何か会話されるともっと会議が有意義なものになりそうな気がしてなりませんでした。

また准看護師になり、こちらも毎月ナース会議がありましたが、いつもはなかなかの陰口、悪口を言っている人がだんまりを決め込まれてたりするのです。もちろん意見を言う人はどんどん言われていました。私はここでもやはり自分の意見は言っていました。准看護師で新人で…というのも踏まえて、意見を聞かれたら…ぐらいにしていましたが、意見を聞かれても結構シーンとかしていました。

社会人になり、トップに立つと、本気でスタッフたちの気持ちが知りたいのではないかと思います。もっと気軽に気さくに発言できるようになるには…

私は、もっと小学校、中学校、高校、大学時代から、意見を持つトレーニング、意見を発表するトレーニングが必要不可欠なのではないかと思うのでした。

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日本での価値基準は、それとは違う所にあったりします。皆と同じであること、足並みを揃えること、協調性があること、上に言われた事を素早く遂行すること、テストで良い点を取り他を圧倒し希望の学校に入ること、いい学校に入りいい企業に入ること、入ってからひたすら耐えぬくこと…

終身雇用が当たり前の時代に、自分の意見を言うことで得られる利益は少なかったかも知れません。けれど、今後ますます国際化が進んで海外の方と一緒に肩を並べて仕事をすることも増えて行く中で、自分の意見がない、というのは非常に不思議なことに感じられると思います。

今から自分の意見を臆さず言える子に。

人の意見も聞ける子に。

明るく議論出来る関係性を。

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子どもが4人いる我が家。揃って皆自分の意見は家では言えるんですが、外(学校・部活)では言うのが苦手です。

今はそれでもいいと思います。

社会に出た時に羽ばたける子になれるように、今から家では少しずつ種まきしていけたらいいなと思っています。

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私は社会人になった時にどんな人間になって欲しいか、社会に羽ばたく前に我が家で大切な命を4人預からせてもらっているような感覚でいます。子離れも早めかなと自分自身も思っています。

これからも母の役割は大きいと思います。

そのうちの1つに、英語を通して異文化交流をして行きたいなと思うのでした。

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コメント

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  2. […] (引用:米大卒ママの出遅れ英語育児と4人の子どもたち。|【アメリカの大学事情】発言しないと成績がAにならない?) […]

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