中学〜高校、そして専門学校へ。

生い立ち

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自己紹介の続きです。

小学生で悟ったこと

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小学生にして「無常こそ常である」「自分は世界から見たらすでにかなり恵まれていて幸せ」「自分を幸せに出来るのは自分しかいない」と悟った私は中学生に入ってからガラッとキャラ変します。

「楽しもう!」と思うようになりました。

ただ、女子は苦手

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ただ、女子はどうしても苦手でした。

去っていった母に、突然荒れ狂う継母に、完全シャットアウトの姉。仲良くなったと思った女の子はいつも居なくなり、なかなかハードな人間関係で、とにかく女子と仲良くなった経験に乏しく、女子は苦手でした。逆に男子は父子家庭だったり、近所の子が男の子だったりと仲良くなる経験はそちらの方が多く、中学生の時は男子の友達が多くいました。色恋沙汰はまずなくて、そんな気にさえなりませんでした。

◯◯のこと好き?

そんな男友達とつるむことが多く、むしろ男に生まれてたら楽だっただろうに、と思いながらつるんでいるとよく女子から「◯◯くんのことこと好きなん?」とか「付き合ってるん?」とか聞かれることがありました。

初彼氏が出来、そしてすぐ別れる

そんな私も中学の時に付き合ったことがあります。同じ放送部で、2人でご飯食べている時に言われたと思います。告白されるのも初めてで、付き合うってよく意味分かってなかったと思います。付き合ってみたものの、彼があまりにも学校と2人で会う時とに差があって、面食らってしまっていました。そして、キスする雰囲気になり、これは、無理。と思い、その日家に帰ってから別れを告げました。

父、車を持って居ないので、雪が降ったら歩いて帰ることに5時間。

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中学時代の思い出で、印象に残っているのがこの雪の日に歩いて帰ったこと。5時間もかかって帰るとか、ほんと凄い!笑

自転車を押して帰ったんですが、最後は自転車も動かなくなってしまい、置いて帰った覚えがあります。あれは、ほんとに大変だった。

姉は行きも帰りもお友達のお母さんに乗せて帰ってもらっていました。

将来の夢が決まる

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あのアフリカのことがずっと気になっていた私は、担任の先生ではないあまり話したことのない先生に進路を相談しました。だってあまりに現実離れしていると自覚していたから。その先生は、ただ行くだけでは足手まといになる。海外青年協力隊員や色んな道はあるけど、看護師など現地で役に立つ資格を持っていないと行けない。と、言ってくれました。その時に私は看護師になって海外青年協力隊員で働きたいという夢が出来ました。

継母が去る

継母は、あることをキッカケに家に来なくなりました。それは、継母が父が浮気していると思ったからです。父は人当たりが良くすぐに仲良くなるので真相は分かりませんが、継母はかなり怒って出て行ってしまいました。

高校は進学校

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私は最後の最後まで進路を迷っていました。電車で遠いけれど5年間通って看護師になるか、電車で通いながら英語をマスターするか、はたまた手に職をつけるために工業系の高校に行くか。。。迷いに迷いすぎて、最終的に何故か進学校を選んでしまいました。その年、多くの受験者が落ちる中、ありがたいことに受かったのでした。しかし、進学校は中学の時の学習を難しくしたような内容の授業を延々とするので極つまらなく、毎日魂が抜けたようになりながら椅子に座っている毎日でした。

性格も内向的に。

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性格も中学の時とは違い内向的になりました。

というのも、あまりにもほかの女子と違うので、女子が一体どんなことを考えていてどんな生物であるのか(笑)気になったからです。

でもそれ、高校でやるべきではありませんでした。お陰でつまらない高校生活がさらにつまらなくなってしまったように思います。

部活とバイトに明け暮れる。

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部活は中学の時からソフトボール部です。

高校に入った時に、せめて部活で!と思い、野球部の顧問の先生に、野球部に入らせてもらえないかと聞いたことがあります。顧問の先生はそんなこという女子は居なかったのか、何を言っているのか理解出来ない感じで、マネージャーならなれるよ、と言っておられました。今考えたら恥ずかしい話です。ソフトボール部のほかに、英語のクラブにも入っていました。こちらは週1でした。そして月1ぐらいでボランティアバンクにも入っていました。

そして毎日の部活後〜9時までと土日の試合のない日には王将でアルバイトをしていました。

家から学校が遠くて、片道15キロ、往復30キロ、家には車はないという生活だったので、バイト帰りはかなり遅くなっていました。

英会話教室に行く

その時のバイトで貯めたお金や父からいくらかもらって英会話教室にも行っていました。が、かなり個性的な先生で、すぐに授業を脱線して、色恋沙汰の話をし始めるのでかなりやきもきしました。彼女とは海に行ったり、パラグライダーに乗ったり、ご飯を食べたり、寝泊まりしたりと色々しました。

カナダに行く

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ソフトボール部の先輩に勧められて、都会で行われているある選考会に行きました。それは、全国から集まった子達で3週間ほど目的にそったプログラムをしに行く企画で、私はカナダのボランティアのプログラムが気に入り、選考会に行き、受かりました。そしてお年玉と王将でのアルバイト代を全てはたき、約40万円かけて3週間のホームスティに行って来ました。父には「明日からカナダ行ってくるわ!」と告げて行きました。カナダのある島で老人ホームに行って島唄を歌ったり、色々な活動をしながらも2人一組でホームステイをして過ごしました。最高すぎるホームスティ先でした。夜になっても明るいカナダ。バーベキューで夜ご飯を食べ、家の大きなプールで遊び、バドミントンで遊んでとっても素敵な思い出がたくさん出来ました。私たちは家の敷地内にある小さなコテージのようなところで寝泊まりしました。素晴らしい体験をさせてもらいました。

姉、裸足で家出する。私も何故か裸足で追いかける。

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高校生の時に、継母も居なくなり、母が申し訳ないことをした、と祖父がしばらく我が家に暮らしたことがあります。ご飯や掃除など頑張ってしてくれていました。 が、姉、居心地が悪くなったのか、突然裸足のままで玄関でもなく窓から逃げて行く姿が見えました。私はとっさに追いかけました。玄関に行っている暇もなく、私も窓から追いかけました。胸騒ぎがしました。村中探したけれど、どこにも姉の姿はありませんでした。が、しばらくすると公会堂が一瞬だけ明るくなりました。これはきっと姉だ!と思った私は公会堂の中に入って行きました。公会堂の中には消防車が入っていました。姉は私が来たことにかなり驚いていましたが、いつもの外面のよい姉の口調のまま、色々話しました。姉の心はダークなままで、世界で一番不幸せだと思っているような感じでした。私がなにを言ってもまた同じことをループするかのように繰り返していました。その日から、姉との関係は良くなり、姉はしょっちゅう私の部屋に入り浸るようになりました。姉はまるで少女のように人形を使って遊んだりするので、人形遊びとか全く興味がなく、むしろ人形の目が不気味と思っていたぐらいの私には結構カルチャーショックがありました。と、同時に姉は愛されるキャラクターで羨ましく思っていましたが、その理由が少し分かったように思いました。

進路に悩み、あることを閃く。そうだ、英語もしながら看護師になろう!

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進路に悩みまくっていた私は、祖父からあることを言われます。祖父というのはもちろん母方の祖父で、母があまりに無責任なことをしたから、自分が大学どこにでも行かせてあげる!と言ってくださったのです。祖父と言えば、株に成功し、かなり資産を持っていたと思います。そこで私はじゃぁ、人生、悔いないようにさせてもらいます!と、私が考えている英語もしながら看護師になろう案を言ってみると。。。「本来なら看護師になってから海外に行くのがいいだろうけど、あきちゃんがそういうなら応援するよ」と言っていただき、海外でインターナショナルナースになる夢を抱きました。が、コネもなにもない私はそれを仲介してくれる専門学校に1年だけ入学するのでした。

続く。^_^

HIUCという専門学校での話。

コメント

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