私が行った専門学校では、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアに提携校がありましたが、ニューヨークは特に多かったです。
こちらお借りしました。
そして、私が行ったところは次のうちのどれかです。
ただ、直前に幼児教育学部に変えていたので、看護学部のない学校でした。
学校内で学部を変えることはいくらでも出来ますが、学校を変えることはなかなか出来ない為、私は本当にしくじってしまうのです。
何のためにアメリカに来たんだ!!状態になってしまいました。
ちなみにニューヨーク州立大学の中でもいくつかは看護学科もあったのです。
何故このような学校に行かなかったのか、本当にお馬鹿です。
もくじ
いよいよ渡米。
渡米直前、また父に「これからアメリカの大学に行ってくるわ!」と行ったので、びっくりした父。父には珍しく、見送りをしてくれました。(バスに乗って、電車を何度も乗り継いでわざわざ来てくれたのでした。)
日本人の同級生と馴染めない。
大阪校と東京校の同級生たちと一緒に大学に行ったのですが、大阪校から来た同級生はまだ全然仲良くない子達ばかりで、同じクラスにもなったことのない子がほとんどでした。対して、一緒に来ていた子はもうすでにかなり仲良くしている様子でした。入りたいのだけど、そこには見えない厚い壁を感じました。
なかなか本当の意味で仲良くなることが出来ず、心友の居ない私はまた取り残された気持ちになっていました。
夏休みは英語の集中講義、そして秋から新学期スタート。
幼児教育の先生の学科を選んでいた私。基礎から学習は始まり、徐々に専門的な知識を身につけていきました。
英語力は、専門学校で身について来たとはいえ、全てが英語の世界は産まれて初めてです。しかも、英語を学ぶ為の英語ではなく、英語ネイティブの為の英語の授業。心友はまだおらず、英語も分からないことだらけ。私の心は大分すさんでいたと思います。
そんは中で出会った素晴らしい仲間
詳しくはこのホームページの随所に書いているので割愛しますが、大切な仲間が出来、心友が出来、私のアメリカ生活は変わっていきました。四六時中つるむアメリカ人の友だちも居て、休みの度に友だちの家にお邪魔してお泊りさせてもらっていました。素晴らしい出会いに感謝です。
ホームステイ2回、寮生活、シェアハウスを体験しました。
それぞれに素晴らしい出会いがあったのですが、今でも交流のあるホストマザーもいます。一緒にフロリダに連れて行ってくれたり、お祝いを一緒にさせてもらったり、本当に素晴らしい時を過ごさせてもらいました。
専攻を先生から社会福祉士的専攻に変える
恐らく私の基本的な原動力は「誰かを助けたい」のだと思います。健康な子は日本でも海外でも不思議と全く興味がなかったのです。逆に病んだ子のことは物凄く興味がありました。その家族のこともとっても。
心理学をメインに学びました。
インターンシップでは教会でさまざまな困難に直面した方々に会い、仕事のお手伝いをしました。
彼と別れ、新しく年上のアメリカ人の彼氏が出来る
専門学校の時に付き合っていた彼はサウスダコタ州へ、私はニューヨーク州へ行き遠距離になり、自然と関係は消滅しました。
彼と別れて割とすぐに告白されるんですが、「自分が好きな人としか付き合わない」というマイルールから、1ヶ月毎日告白され続け、ついに彼のことが好きになり付き合うことにします。付き合う=相当好きなんですが、彼は私がI love you. を言うと決まってNo, you don’t.と否定しました。彼は相当いい男でした。好きすぎました。1年付き合って大好きでたまらない彼からそう言われることにほとほと疲れてしまいました。彼がジョージアに行くと言うので、お互いじゃぁ別れましょうという感じで別れました。遠距離恋愛はする気はありませんでした。
新しいアメリカ人の彼氏と別れて、年下のアメリカ人の彼氏と付き合う
彼と別れて1人を楽しもう!としていると割とすぐに、アルバイト先の子に告白されます。これはもう会った瞬間にビビビッと来ました。好きになるまで待つとかもうどうでも良くて、彼はいい!甘えさせてくれるし、甘えてくれるし、楽しい付き合いが出来る!と思いました。そして思いっきり私流の付き合い方をしました。彼の寮へ忍び込んで、突然部屋をドンドン叩き門番が来たと見せかけて抱きつくとか、アルバイト先で冷蔵庫に呼び出してキスするとか、そんな本当にアホみたいな恋愛を楽しませてもらいました。
そして帰国。
2年目の卒業目前、父が倒れたと連絡がありました。私は帰国しよう、地元に帰ろう、と思いました。
だって、この2年、私は毎日のように進路について考えていたけれど、やっぱり私がやりたいのは医療であると思ったのです。
何故あの時、幼児教育に変更してしまったのか、と後悔ばかりしていました。
でもそれも含めて今の私があるのだと思います。アメリカの光と影の影の部分をたくさん見せていただきました。そんな経験、なかなか出来ないことだと思うので、本当に貴重な体験だったと思います。こんな経験をさせてくれた、今は亡き祖父に感謝しかありません。
続く。
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