帰国した私は焦っていました。
私には何もない、そう思いました。
アメリカ生活は楽しく、英語も日本語よりもよっぽど話しやすくて日本語の回路に戻すのに苦労したほどでしたが、その英語力を生かせる仕事を当時地元の田舎で探すことが出来ませんでした。
手に職をつけたい。
そればかり考えていました。そして海外で住んでみて、改めて日本は素晴らしい国であると思いました。イギリスに行った時はあまりウェルカムな雰囲気ではなかったのですが、アメリカでの日本や日本人のウェルカムぶりは相当だったように思います。日本人=coolと思ってくださる方が多かったので私はあんなにアメリカ生活が楽しめたんだと思います。
そこで、私は日本文化!ともいえる着物屋さんに勤めてみよう、と思い立ちます。面接以外に適正検査のテストを受け、不合格。
落ち込みながらも、その着物屋さんがイオンの中にあったことから、イオンの食品レジの時給が良かったのもありイオンの食品レジで働き始めました。そして食品レジを9時までして、10時から深夜2時までレストランで働きました。そしてその後手に職をと思っていたところ雑誌の編集の仕事を紹介していただきそこで働くことにしました。
しばらく10時〜5時雑誌の編集
そのあと9時まで食品レジ
10時〜2時までレストラン
と3つかけもちしていたのですが、レストランが2時までした後片付けていつも4時ぐらいに帰っていて一度寝坊してしまったことがあり物凄く反省しほかの2つをまだ3ヶ月しかしていなかったのだけど辞めることにしました。
たった3ヶ月しか働いてない私にイオンからは7千円分の商品券をみんなからお金を出し合ってくださり、レストランからはワインをプレゼントしてくださいました。そしてあれから15年程経つ今でも食品レジの皆さんと話せる、そんな仲です。
正社員になりたい
雑誌の編集一本にしたけれど、正社員になりたい私と正社員はとらないという会社。
正社員になりたいのに〜と思いながらも、お金をもらいながら手に職がつけられるなんて最高!と思い仕事をしていました。編集だけでなく営業もしました。お店というお店をまわりまくりました。色々なしがらみがあったり、お金がかかったことなのと金額がかなり高く、それをどう駆け引きしているのか色々と勉強になりました。2年働きましたが、その頃にはイラストレーターもフォトショップも自分がやりたいように使いこなせるようになっていました。ただ、目が物凄く悪くなりました。途中頭が痛くなって来て、このままでは失明しないだろうか、と心配にもなりました。この仕事はあまり長く続けているのは身体的に危険と感じることもありました。また正社員ではなく、5時以降は働いてほしくない会社は5時になったら電気が消される為、退社しなくてはいけませんでした。時給800円のアルバイター。私は夕方から出来る仕事を探し始めました。
いくつかかけもち。
夕方からの仕事として、イタリアンレストランのオープニングスタッフを始めました。昼間は編集の仕事があるので、夜だけしました。そこで出会った子とはずっと仲良しでいい出会いをしたと思っています。
またレストランも毎晩は入れないのもあり、後半には個別塾の講師になりました。こちらは逆に夕方〜夜にかけてしかない仕事でした。1回90分1,500円という感じでした。
作業療法士を目指す。
私は看護師にもなっておらず、また英語を使った仕事もしていない自分が嫌で嫌でたまりませんでした。手に職をつけることができていない自分に嫌気がさしていました。
そんな時、 母親が作業療法士を目指して学校に行っていることを知ります。母とコンタクトを取り、作業療法士の学校を見学させてもい、看護師以外の医療従事者の存在を知ります。色々調べると作業療法士の夜間学校を見つけ、昼間は普通に働き、夜は学校に行く案を思いつきます。学校に行くためにもっとお金が必要になりました。私はまた8時〜12時までの仕事も増やし働きました。
その時の彼氏が今の主人。
帰国してしばらくして年上の素敵な彼が出来るのですが、彼は私と同じように生い立ちが複雑で、気持ちが分かり合えて良い分、浮き沈みが割とはげしく、すぐに駆け引きするような人で疲れ果てました。
次に彼になる人は「普通」の人がいい、と密かに思っていました。
レストランで働いていた時、中学生の元カレ(キスするのが嫌で別れた人)が男友だちを連れて来ていて、仕事後一緒に飲みに行き、その時にどうも気に入ってくれたようで、その男友だちと電話するようになりました。彼は穏やかな人で、言葉の端々に子供好きなのかな?将来癒されそう、と思える瞬間がありました。しかし、恋愛にはもううんざりしていて誰かと付き合う気持ちは全くない私は、その後彼に告白されるのですが付き合う気持ちになかなかなれませんでした。それでも毎日のように電話をかけてくれて、少しずつ好きな気持ちが芽生えて来て、そして付き合うことになりました。それが今の主人です。
1年程付き合ったけれど、作業療法士の学校に行くつもりでいた私は彼とは別れるつもりでいました。しかし彼は4年間の学校生活を待つつもりでいてくれていたようで、彼の懐の深さを感じました。そしていよいよさぁ、学校へ行こう!という時に。。。
妊娠していることが分かったのです。
そんな感じで、デキ婚することになるのでした。何もない、けれどお母さんになることは出来る!若い頃に子宮内膜症と診断されていた私に子供が出来る!それは嬉しすぎる知らせでした。
24歳になりたての冬のことでした。
つづく。
コメント
コメント失礼いたします。
いつも参考になる内容ばかりで読むのが楽しみなんですが、どんな方が書いてるんだろうと気になっていたので自己紹介読むたびワクワクしています。
次の更新も楽しみです♡
utakoさん
わぁ〜!嬉しいですっっ!!
そう言っていただけて♡♡
書く活力になります(๑>◡<๑) 少しありのままに書きすぎてひかれてはしないか、長すぎていつ終わるんだって感じではないかと心配していますが。。。 あと少し、お付き合いいただけるとうれしいです。(*´ω`*)
[…] 帰国してから結婚するまでの話。 […]