母になれたのに長女が生後7ヶ月から働くことに。

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自分の恋愛遍歴まで書いてしまって赤裸々すぎる気もしますが、それら含めて今の私、ということで書かせていただきました。

ここからは母になった私の話です。

主人の両親に会う

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妊婦になった私は、まず主人のご両親にそのことを報告しに行きました。

主人のご両親、かなり圧のある方たちのように見えて当時少し怖かったですが、この日はもう相当怖かったです。

でも晴れて私をお嫁さんにすることを認めてくださり、義両親が父に挨拶に行き、結婚の話が決まったのが1月下旬。

結婚4ヶ月目に結婚式

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妊娠5ヶ月目の時に結婚式を挙げました。

今はあまり形式に拘っていませんが、当時は結婚式はどうしてもあげてほしかったみたいで、ほとんど主人や主人の父の会社関係の皆さんにお披露目するような形で結婚式をしました。妊婦で仕事しながら結婚式のことを色々決めるのはなかなか大変でした。

母と継母も誘いましたが、継母は来ませんでした。代わりに母は義母さんとフルートとピアノの演奏をしてくれました。

親族一人一人から一言コメントをもらうというのがあり、主人サイドの親族のコメントはクスッと笑えるようなコメントが続いていたんですが、母からは「あきは昔から大家族に憧れていました。」みたいなことを言ってたんですが、いやいやいやってな感じでした。

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昔って、あなたと出会ったのってほんの数年前でしょ。しかもその時、姉を助けられるのは恐らく母しか居ないから母から姉にコンタクトしてあげてって頼んだのに私は知らない的な感じで断って以来そんなに交流ないでしょ。しかも憧れてましたって。。。そんなこと誰が言った?想像?しかももしそうだったとしら、それはあなたのせいでは?っと色々と悶々としながらも、感謝の手紙では父だけを言うわけにもいかないので、母への手紙も書いていたんですが、主人の会社の人がたくさんいる中で、恨みつらみなんて書くことも言うことも出来ず、綺麗事を並べた手紙を読んだ覚えがあります。

新婚旅行は伊勢志摩。

義父母からの勧めで伊勢志摩へ新婚旅行へ行きました。でも妊婦。伊勢志摩でもなかなかすぐに疲れてしまっていました。伊勢志摩、ステキな所でした。

結婚8ヶ月目に家が建つ

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何故か義父さんは家を建てることにものすごく焦っておられて、右も左も分からないまま本を片手にどんな家にするかを考え(ほとんど私が)、何度も打ち合わせに行き(ほぼ私だけで)、あっという間に間取りを決めて家が建つことになりました。

突然のことで頭金ゼロ円。

働き始めて間もない主人に変わり、義父さんの名義で25年ローンが組まれました。(支払いは全て私たち)

繰上げ返済を何度も試みようとしましたが、未だに繰上げ返済できずにいます。

まとまったお金が欲しい。。。

結婚8ヶ月目に子どもが生まれる

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家の引っ越しと長女が生まれたのが同じぐらいの時期でした。なぜこんなに焦ってことを進めるのかはわたしには分かっていませんでしたが、とにかく怒涛すぎた8ヶ月でした。

長女が生まれ、義実家で1ヶ月お世話になりました。長女はおっぱいをずーっと飲んでる子で、いつでも機嫌よく笑ってる育てやすい子でした。

長女が7ヶ月の時に働き始める

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私は自分に子供が出来たことがこの上なく幸せで、最高の気分でした。産後しばらくして雇用保険をもらうためハローワークに行くと、面接をしないといけないと聞き、職を探してもらうと遂に私が探し求めていた「正社員」になる道もある契約社員「翻訳業」がメインの事務の募集がありました。

正社員で英語を使って仕事が出来る。しかも給料が18万円(手取り15万円)。当時、周りでは保育士さん11万円、土木15万円の手取りと聞いていたこの田舎の企業で18万円、手取り15万円程、日勤、残業ほぼなしという条件はとても良くこれを生涯の仕事に出来ることが出来たら長女の為にもなる、と思いました。

が、長女はまだ生後半年程。働くことが本当にいいことなのか、私は迷いました。せめて1年は家でみたい。そう思いながらも、義母さんに相談してみると、「受かるか分からないし」と言ってもらい、面接を受けてみることにしました。すると、受かってしまったのです。そして4月、契約社員として働くことになりました。

長女のことをゆっくり見たかった私はとっても残念でしたが、それでもそれが彼女の将来の為になるのであれば。。。と腹をくくりました。長女は義母さんに見ていただいていましたが、義母さんに休みがないことが申し訳なくて、毎週水曜日には乳児園に預けていました。私は長女に申し訳無い気持ちになりながら働きました。そして長女が一歳になる月から保育園に行かせることになりました。

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後ろ髪をひかれる思いでした。長女は泣くことなくバスに乗り、保育園まで行きました。今でもこんな小さい子に寂しい思いをさせてしまったなとタイムスリップして過去に戻りこの状況を変えたい程です。

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せめてお弁当日は頑張ってみてました。

仕事は翻訳業や通訳的な仕事、また品質管理部にいたのでISOのことをメインにしていました。

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契約社員が全員リストラされる

毎月電話会議をするんですが、アメリカの社員が突然リストラされたのか居なくなりました。

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違う方がその時からその会議の担当になったのですが、実はアメリカでは大変なことが起こっていました。リーマンショックです。

私はその事実を知った後も、どこか他人事のように思っていました。正月の社報も「子どもが産まれました」「マイホームを建てました」などと写真付きで紹介されており、私も今年の新入社員のところに写真で紹介されていました。明るい年になりそうな予感しかしませんでした。ところが、1月入ってしばらくして、第1、第2工場それぞれで働いている契約社員総勢150人程が一箇所に集められました。そして、「今日はこれで帰ってください。明日からのことはまた追って連絡しますので自宅待機してください。」というような内容のことが契約社員に伝えられました。

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そうです、突然のリストラをされたのです。そこは女性よりも圧倒的に男性が多い職場で、ただただびっくりして呆然としたり、中には泣き出す方もおられたようです。

私は正直、ほっとしていました。

これで、子育てが堂々とできる!と。

貯金はこの9ヶ月で100万円を貯めていました。全ての支出を私の給料から出し、主人の給料をほぼ貯金していたからです。繰上げ返済をしようと思っていて。

15万円のうち、8万円が家のローン。7万円で他を賄うのはなかなか大変でしたが、それでも切り詰めておいて良かった、と心底思うことになります。

看護学校を受験することになる

若干晴れ晴れしい気持ちで家に帰って来ました。当時長女はまだ1歳4ヶ月。保育園というところが私の思っていたような見守る的家庭的な感じではなくやはり集団生活であることに重きが置かれているのもあり、母と一緒にいる時間をこれからはもっと作りたい!と思っていました。

リストラされたことを義母に伝えると、「丁度良かった!」と看護学校の生徒募集が後1週間後に締め切りである新聞の広告欄の一部を見せてくれました。

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義母さんは私が作業療法士の学校に行くことになっていたのが、授かり婚で行けなくなったのを知っていて申し訳ないと思われていたようです。

「受かるか分からないから。」と、言っていただき受験しました。その年はリーマンショックの煽りでかなりの受験者だったようです。翌年は更に多く、その翌年は更に受験者は多かったようです。そんな中、見事に合格してしまった私。

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そうです。「受かるか分からないから。」で受けて今回も受かってしまったのです。これからは「もし受かったら。。。」と考えないと危険!と思った私でした。

そんな訳で次回は看護学校に行ったという話から始まります。

つづく。

看護学校へ。そして受験日が父の通夜に。

コメント

  1. mama-glish より:

    あきさん
    いつも楽しく拝見させてもらっています。
    働きながらあのお弁当のクオリティすごすぎます!
    長女さんもきっとママの愛を感じていたんでしょうね。

  2. akey39 より:

    mama_glish さん
    ありがとうございます!^^
    年に2度ほどしかお弁当日がなかったのと、子供が1人だったのでできたわざです。^^;今はもうしよう!という気も起きません。笑
    当時は色々頑張っていたんだなぁと自分で自分を褒めてあげたくなることばかりです。
    長女は、保育園に行くよりも母と居たかったんだろうな、と後になってから色々と症状が出てきて、彼女には悪いことをしたと思っています。

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