#あきのアメリカ滞在記vol.2「学校生活」

アメリカ生活

前回の記事はこちらから。

前回は、アメリカ生活での寮生活について書いています。

本当は寮生活が始まる前に、一度ホームステイを体験し(今でも交流があるご家庭です)、その後日本人4人一組でアパート生活をしてからの寮生活になるのですが、そこは端折っています。良かったら読んでみてください。

そして今回は、アメリカの大学の学校生活、主に授業についてです。

vol.10 大学の始まり

大学の授業は、夏休みにESLの講義を受けた後、9月から幼児教育学部がスタートした。

私以外に後3人ほど日本人が居た。

授業中はアメリカ人たちは次々に挙手するアットホームな雰囲気だったけど、殻が破れない私たちはしばらく傍観者として聞いていることが多かった。

話は幼児教育の学部のスタートから始まります。

幼児教育学部には、小学校までの子をケアするChild Careと、小学生を指導するTeaching、問題を抱える親子対象のChild and Family Servicesの3つの学科に分かれています。

私は初めTeachingを専攻していましたが、後からChild and Family Servicesに転向しました。

この幼児教育学部には、私も含めて4人の日本人同級生がいました。

vol.11 大学の成績づけ

成績にはテストの結果以外に、参加したかどうかも大切になってくる。

日本人はそれをやや甘く設定してくれており、しばらくは発言がなくてもテストの成績だけでAをもらえていた。

日本人の勤勉さはアメリカでも充分通じると思う。

後、電子辞書を使って試験も挑めた。

participation(授業への参加)がとても大切だといわれており、挙手率はどのクラスもかなり高かったです。

別に高尚なことを言う必要はなく、自分の意見を持って、それを発言するのは当たり前だ、という感覚があるのを感じました。

正直、言ってることは、割とおバカな内容のことも多かったです。

日本人は電子辞書を使っても良かったので、意味が分からなくて答えられない、といことはありませんでした。

vol.12 苦戦した数学

苦戦したのは数学。

先生はさらっとfour divided by two equals…とか聞いてくるけど、私の脳内は忙しい。

数字を英語で聞く

⇒日本語に変換(よんわるには…)

⇒計算(に!)

⇒日本語から英語に変換(に=トゥー)

答える(トゥー) という風に。

ただ、関数電卓は標準装備。

数学は1桁ならなんとか出来ますが、3桁、4桁になってくるともう…頭がカオス状態に。

ただ関数電卓は凄く高機能で、それが普通に使える環境に興奮していました。(簡単な計算しかしなかったですが…)

文章問題は…私には難しかったです。

理解するのが精いっぱいで、それを計算するとか…魂が抜け落ちそうになっていました。汗

vol.13 最も英語力がついた心理学

英語力が一番ついたのは心理学。

毎回宿題で5、6ページの文章を読んだ後に設問に答えるんだけど、整合性はあるか?っていうのを毎回聞かれて、文章の全体を理解しなければ答えられないので、徹底的に理解することに努めた。

それが、私の英語力の基盤になっている。

心理学の授業は凄く力が付きました。

特に宿題が優秀で、様々な短編物語を読んでいるような感覚でした。

全体的に質問や、部分的な質問などがあり、全体的な質問はきちんと意味が分かっていないと答えられなかったので、それぐらいスパルタが私には良かったようです。

vol.14 英語力が飛躍的に伸びた方法

中途半端な英語力では弱い!と思い、目にするもの全てを英和辞典でひきまくった。 辞書の調べた単語は最後まで読む。 次第に何度も目にする単語は調べなくても分かるようになり、日本語を介さずに理解出来るようになり、授業も全く支障なく受けることが出来るようになった。

私は辞書で調べずに何となく感覚でつかんでいく程の単語力がありませんでした。

また一つの単語について深く知っておらず、1つの単語を1つ1つ深く理解していくことに費やすしました。

いつかこの学習が身を結ぶと信じて。

そうしていくうちに、一度じっくり調べたものは、まるで頭の中に辞書があるような感覚になりました。

これは同じ単語だけど、こっちのニュアンスだろうな、などです。

vol.15 牢獄から抜け出した瞬間

英語が分かりきらなかった時期は半年間程あった。

その半年間は牢獄にいるような半鬱のようなしんどい時期だった。全てにモヤがかかってた。

けれど、そこで楽な方に逃げずに良かったと思っている。

あの苦しみがあったから、その後のアメリカ生活は輝くものになった。

英語が今一つ分からなかった時は、全てが不確かで、全てにモヤがかかったような感覚だったんですが、段々分かりだすと、視界がクリアになり、また全てのパズルのピースがカチっとはまった感覚がありました。

今までは登山の途中で、どこが頂上かも分からない状態の中登って来たけれど、ここは結構高い所まで来ている…と実感することは出来る瞬間が来たのです。

vol.16 足繁く通った図書館

キャンパスには図書館が中央にあり、パソコンルームもあるけど、ノートパソコンとともに足繁く通った。

ネットを繋げて、調べながら論文を書きつつ、友達とメッセンジャーでやりとりをした。

論文を書いたらチューターのアルバイトの子に英語チェックしてもらっていた。

私の憩いの場所は図書館でした。

寮はキャンパスの端にあり、遠いというのもあるけれど、部屋よりもよっぽど人とのつながりを感じられる中で、邪魔もされないという最高の環境で大好きでした。

ネット環境も良い為、だらだらと好きなホームページ巡りもしていました。

私自身もアメリカ生活を綴るブログもしていました。

パソコンルームとチューターがいるのは図書館の地下で、エッセイなどを書いた後はよくチェックしてもらいに行っていました。

チェックは予約制で無料でした。

vol.17 チューターの添削

チューターの子からは「あなたの間違いはアメリカ人が一般的に間違えるようなものばかりだわ」と言ってもらった。

ある日、こんな事があった。

私はエッセイで、高校生の時に塾のお手伝いの時に見た衝撃的な光景を文章にしていた。

すると、「コピー取ってもいい?」と。

チューター通いをしていると、こうすれば良かったのか、が分かるので、次の時はより良い物が書けるようになる…その繰り返しで、私のライティングスキルは上がっていきました。

そして私はよく日本のことを書いていました。

ある時、私が書いた塾のお手伝いの時の様子を書いたエッセイが話題になったことがありました。

彼らには何と奇妙に映ったことだろう…と改めて思います。

vol.18 チューターが驚いた日本の塾

どんな話かと言うと、中学受験生の2泊3日の夏合宿。

毎日数回のテストでは一言一句間違ってはいけない。

間違えれば1からやり直し。

要領のいい子は早く終わって遊び、出来の悪い子は深夜になってもテストを受け続ける。

そして順位による席に衝撃のシールが… という話。

これは中学3年生の夏の合宿なんですが、私自身塾に通ったことがなく、また彼らが行きたくて倍率の一番高い公立進学校に実際に通っていたので、より「こんなにする必要あるの?」と面食らっていました。

彼らは朝6時起床で、数回の授業を受けて、その度にテストを受けます。

テストを採点するのが私たちで、一言一句間違ってはいけない。

テストを渡す為に、毎回廊下をぐるーっと一往復するのも、今思えばリフレッシュになって理にかなっていたのかも知れないけれど、私には変に思えました。

そして、結局要領が良くて、あまり物事を深く考えない子が早く終わるんですよね。

そして、いつまでも残る子は大体決まっていて…深夜2時とかでもやっていました。

他の子はもうすでに寝ていて、翌日6時起床は変わらず。

そして私が最もびっくりしたのが、終わるのが早かった順に席順が決まっているのですが、その机の上に受かる高校名が羅列してあったのです。

1位の子はもうびっしり、これでもか!と多くの高校名が書かれていて、しばらくすると「その他」になります。

そして最後の方は「その他」さえない、ただの机です。

色んな事に違和感があり、それらをエッセイに書いたのでした。

vol.19 日本をネタにスピーチ力アップ

私は度々日本のことをネタにした。

例えば舞妓についてとか。

発表の時は原稿を暗記して、パワーポイントを用いて発表した。

人前で話す能力はここで鍛えられたと思う。

堂々と、笑顔も見せながら、自分の意見を言う。

一度読めば割とすぐ暗記出来たのも助かった。

アメリカ人にとっても日本を知る機会になるし、私自身が日本についてもっと見聞を広げるきっかけになると思い…。

日本のことをネタにいくつかエッセイを書いたり、スピーチをしたりしました。

中には「多重人格について」という私の興味ある内容でスピーチしたこともありますが、お陰で人前で話すことに対してそこまで抵抗がなくなりました。

今回が学校生活、特に授業編をお送りしました。次回は恋愛に関する記事です。

続きはこちら。

コメント

タイトルとURLをコピーしました