【看護学校】子持ちで看護学校に行った話、きっかけ。

子持ち看護学校

長女が生後半年時、雇用保険をもらう為にハローワークへ行ったら、就職活動中である証拠が必要と言われました。

そこでハローワークの方に求人を探してもらうことにしました。まだ娘は半年だし、まったく働く気などありませんでした。

だけど、求人に、契約社員に2年間ならなくてはいけないけれど、その後正社員になれる道のある英語が出来る事務の求人があったのです。

この田舎で英語が必要な仕事を見たのは初めてで、しかも給料が良かったのです。(この地域では、です。あくまで。)

そこで、家族に相談すると、まぁ受かるか分からないし受けてみな、ということでとりあえず受けてみることにしました。

事務の募集もされており、そちらには十数人の応募があったそうだけど、こちらは私ともう一人の二人だけだったらしい。

そして受かってしまいました。

受かったことに少し後悔しながらも、これを生涯の仕事に出来るのであれば今は娘に負担をかけるけどこのチャンスは逃すべきではないと働くことにしました。長女は祖母にお願いして、一歳からは保育園に行ってもらうことになってしまいました。

そしてそんな時期とリーマンショックが丁度重なり、取引先でいつも担当されていたアメリカの方が突如リストラされ、リーマンショックのすごさを肌で感じながらも、まさか自分たちにその余波が回ってこようとは思いませんでした。

生活費は私一人の稼ぎだけで生活し、主人の稼ぎはなるべく貯金に回しました。なので働いている間に100万円以上の貯蓄ができました。その代わり外食にも行かなかった為にかなりの家事を私一人がこなしていたのだけど。

で、それが結果的に今の生活をも助けてくれる貯蓄になっています。

そして働き出した翌年の1月。全契約社員が一同に呼ばれた。工場が2つあるので二ヶ所に分かれていたけれど、それでもかなりの数でした。

その年の1月の社報では、マイホームを建てました!可愛い子が出来ました!などの明るい話題で持ちきりだったのに、一変。

今日を持って一度全契約社員は帰ってもらい、もう来なくていいというリストラ宣言がされたのです。

8割方男性の職場。

大変な事態です。

私は内心ほっとした。

これで子育てに戻れる!

子育てこそが私のしたいことだったんだ!と。

そしてリストラのことを伝えると、義母さんが調度良かった!前からどうかなって思ってたけど、仕事頑張ってるから言えなかった、と看護学校の受験の広告を見せてくれました。

私は昔からインターナショナルナースになるのが夢でアメリカまで行ったのに結局ならず、さらに独身時代に作業療法士の夜間学校に働きながら行こう!と決めた矢先の授かり婚だったのだけど、それを知ってる義母さんが勧めてくれたのだ。

家族と相談し、まぁ受かるか分からないし、受けてみれば?ということで受験しました。しかも筆記用具を忘れるという凡ミスをしつつ。

そして、これまた受かってしまいました。

受かるか分からないし、と挑戦するのはもし受かったらを考えないと本当に怖い。汗

その年はリーマンショックがあったからか、受験者数が過去最高で、翌年はさらに受験者数が増え、しばらく数年は過去最高を更新した時期だった。

娘は一歳半。

娘との時間が欲しいと望んでいたが、折角のチャンス。看護学校に行くことにしたのでした。

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